試行錯誤ですが何か

定年親父がとりとめもなく、自己満足で日々やった事や感じた事、思ったことを書いています。ムンクが好きです。

ギターとの出会いについて 4

レッド・ツェッペリンというバンドを知ってから、とにかくレコードを全部買い集めた。聴けば聞くほど惹かれていった。『プレゼンス』というアルバムの『アキレス最後の戦い』という曲を聞いたときは本当に凄いと思った。10分20秒ほどの長い曲であるが、時間を感じさせず音楽が持つ疾走感を味わせてくれる曲だった。この曲を聞いてからエレキギターを弾きたいと思った。
正直、どんなギターを弾いているのか全然知らなかったので、エレキを弾いている友人に教えてもらった。ギブソン社ののレスポール・スタンダードというギターらしい。
話は変わるが、自分が高校生のころというのは、今から30年以上も前で、当時通っていた楽器屋には本物のギブソンフェンダーのギターなんて一つも置いていなかったと思う。あるのはヤマハを中心に、グレコ、トーカイ、アリア、フェルナンデスといった日本のブランドばかりだった。この歳になっても鮮明に思い出すのは、初めて東京に行ったときに銀座の山野楽器店で本物のフェンダーストラトキャスターを見て偉く感動したことだ。初ギブソンについては正直あまり覚えていない。今ではちょっとしたショッピングモール内にある楽器屋さんで、普通にギブソンとかフェンダーのギターが売られている。良い時代になったのものだとつくづく思う。
学園祭やライブでメンバーが足らないときにヘルプとして、フォークギターやエレキギター、ときにはベースを借りて弾いたりしていたが、クラシックギターの奏法しか知らないくせによく人前で弾いていたと思う。
ピックを使ってギターを弾くのが出来なかったので、もっぱら手弾きでアルペジオぐらいしか出来なかったがとても楽しかった。エレキってボディが薄いので軽いと思っていたが、結構重い楽器だったのが意外だった。
自分のエレキギターを初めて買ったのは、高校を卒業してからだと思うが記憶が怪しい。アリアのレスポールのコピーモデルでディマジオのピックアップがついているということで勧められたものだが、セットネックなのにボルト止めされていたりと形だけのレスポールだった。サスティーンが全然伸びないギターだった。このギターで当時定番?のデ―プパープルの『スモークオンザウオーター』や『ハイウエイスター』といった曲の練習したものだ。本当はツェッペリンの曲を弾きたかったが、自分のレベルがついていけなかった。とはいえ、何やかんやでエレキギターとの付き合いはここから始まったと自分では思っている。